朝目がさめて「おはよう!」で生きてるか死んでるか確認している私の奥さん、呼吸してれば生きてますからご安心ください。
そろそろ目覚めないってこともあるからね?
家族に「おはよう!」って言ってますか?
子供達が小学生ぐらいの頃は、朝からデッカイ声で「おはよう!」って言ってましたが中学・高校となると「おはよう!」の大きさが徐々に小さくなっていくようです、そして社会人になると「おはよう!」がもっと小さくなるみたいです、我が家の子供達だけかもしれませんけどね。
あいさつは強制では無いけどとても大切だという事
幼稚園・保育園の頃に先生に「あいさつ」しましょうって教わって以来わが家の子供達は「おはよう・ありがとう・いただきます・ただいま・おやすみ」と日常必要な言葉は出てきてるようです。
正直「あいさつ」って強制されてするものではなくて自然と言葉として口から出てくるものだと思ってます、私の場合は朝起きたら「おはよう!」は自分は生きてるってことを奥さんに訴えてる?って感じで・・・。
「おはよう」って言われれば、当然「おはよう!」って返されることで夫婦の「コミュニケーション」の始まりです、リビングへ行ってしばらくすると会社と学校へ行く息子と娘が「おはよう!」って家族の「コミュニケーション」が始まり今日が始まります。
文字にするとややこしいですね・・・、とにかく朝から「あいさつ」ってヤツは大事だってことがわかってもらえると思います、朝の「あいさつ」がない時はたいがい「風邪ひいた」とか「頭が痛い」とか何処かが調子悪いって時のようです、快調な時と不調な時が「あいさつ」でわかる単純なことです。
ここまでは「あいさつ」ができる、できない、の家族間のメリットです。
あいさつができない人はすこしソンをするってこと
これは私が学生の頃に感じたことです。
学校へ通うと当然先輩ってヤツがいるわけです、初めてあった先輩に「おはようございます」って言わないと年下のクセに生意気なヤツという印を付けます、クラスにいる時は良いのですが部活動等へ行くと生意気印を付けられた人と生意気印が付いていないのでは先輩たちの態度は明らかに違います。
こういった経験した人はいるんじゃないでしょうか・・・私ですけどね。
あいさつができないのではなくしないだけです
私の場合「あいさつ」ができないのではなく「しない」といった方が正しいと思います、簡単にいうと先輩たちを舐めていたって事です。
当時の事ですから生意気な後輩がどうなったかはご想像通り「フルぼっこ」の刑にあいました、この事から「あいさつ」は大切なんだと学びました。
正直さほど懲りずに舐めていた先輩には「あいさつ」してませんでしたけどね。
一般社会ではあいさつができないと嫌われるようです
都会の方じゃあまりないようですが、田舎だと引っ越して来たのにご近所に「あいさつ」をしなかったとか云われ「常識がない」マークが付けられるところもあるようです。
「あいさつ」さえしていれば、あの人は「常識ある人」だといわれ、「あいさつ」しないと、あの人は「変わった人」っていわれるのです、何れにしても「あいさつ」さえしっかり出来ていれば色々なもめ事は多少回避できそうな気がしますね。
家族であいさつができなきゃご近所さんとも
日常的に「おはよう」や「いってらっしゃい」が家族間で言えない「ことば」がご近所さんに言えるわけがないと思いませんか、普段から「ことば」が自然と出るようなら簡単にご近所さんにも「おはよう」って言えると思います。
そのために幼稚園や保育園の頃から「あいさつ」を学ばせていると思います、最近は防犯的な事から「声かけ」すると誘拐犯と間違われるなんて事もあるようですけどね。
簡単にいえばお愛想してれば「いい人」に見えるようですね。
気持ちよくあいさつすると
最終的に「あいさつ」をするってことは人と人のつながりって事のようですね、気持ちよく「おはよう」っていえば相手も気持ちいい?はずですから・・・。
あいさつも始めたら継続が必要です、あいさつしたりしなかったりだとあの人はお天気やさんとかっていわれますからね、今日からはハッキリとした言葉であいさつしましょう!
最後におやじが思う事
今回の記事も自分自身にいい聞かせるために書いてみました、普段からあいさつしないわけではないのですが好き嫌いが激しい性格上あいさつする人としない人がいるので嫌いな人にも気持ちよくあいさつできるようにと・・・
最後まで読んでいただきありがとうございました!次回のネタは・・・?